沙弥の繰り言(239)

 
 確かめたいことがあって、「コンピュータ・パワー」<人工知能と人間の理性>(ジョセフ・ワイゼンバウム著。秋葉忠利訳。サイマル出版会)を読み返してみました。
 全ページですから、1979年出版とありますので、何十年ぶりかです。

 ワイゼンバウム氏がこの本を書かれた理由が「訳者まえがき」に述べられているので、少し引用させていただきます。
 氏が開発したシステムはもちろん多岐にわたりますが、「彼の研究中、世の中に一番知られているのはELIZA(イライザ)というプログラムであろう」「これは、人間と機械が英語を使って、きわめて限られた意味であるが『話をする』ことを可能にした。このことを過大に評価して、人間と機械とが完全に理解しあえる日が到着したとか、機械が人間に取って代るのは時間の問題だ、と本気で考える人びとの数が一挙に多くなった」「ごく限られた形での解答が一般的解答だと思われるのはどうしてなのか。ELIZAができたからといって、それで人間の精神科医の代りをさせようと主張することは正しいことなのかーこうした疑問から始まって、本書が書かれることになった」とあります。

 氏はこういうことで、主な論点である「第一に、人間と機械の間には差があること、第二に、コンピュータにあることができるかどうかは別として、コンピュータにさせるべきでない仕事がある」(同書より)を、さまざまな視点から説いておられます。
 
 少々乱暴な言葉使いかもしれませんが、「コンピュータは人間に並び、超えることができる」という派と、「人間を超えることはできない」と主張する派に分けると、各々の派に属すると思われる科学者が、「本書」に何人も登場します。
 たとえば、後者の中に、以前このページで紹介させていただいたことがある、ノーム・チョムスキー氏が確認できます。
 「AIが人間の知能を超えるというアイデアは、いまのところ完全なる夢です」「巨大資本を背景にしたPRですね」という意見の持ち主です。(「人類の未来」ノーム・チョムスキー、レイ・カーツワイル、マーティン・ウルフ、ビャルケ・インゲルス、フリーマン・ダイソン、吉成真由美<インタビュー・編>著。NHK出版新書より)

 ところで、いまはコンピュータよりAIという方が分かりやすいですが、「AIは人間に並び、追い越す」と「そんなことはない」という両派の勢力は、いまどのような状況なのでしょうか。
 素人の意見であると断っての話しですが、どうやら、「人間に並び、追い越す」派の方が優勢になっているのではないでしょうか。

 その理由として、たとえば「AIによって、人間の仕事が奪われる」などというニュースが流れても、また、AIやAIロボットを取り上げているテレビなどの番組で、人間と同じか、既に人間を超えたと思わせる内容でも、これといった意見などが聞こえてきません。
 AIが「碁」や「将棋」の名人を負かせたことも、「AIは人間を超えた」という印象を強く与えたのでしょうか、人文や社会科学者など他の分野からの反論なども届いていないと思うからです。

 ワイゼンバウム氏は「人々がコンピュータは何でもできると思うのは、コンピュータのことを知らないからだ」という意味のことを述べておられますが、そうだと思います。
 喩えてみれば、犬がその勝れた嗅覚で麻薬を検知するのを見て「凄い」とは思いますが、だからと言って、「人間を追い越す」とか「犬が人間に代わって仕事をする」と誰も思いません。

 その理由は、我々が犬を知っているからだと思います。
                                                                 −おわりー
     




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