沙弥の繰り言(230)

 ドイツの哲学者が来日し、利用したタクシーの運転手や立ち寄った居酒屋のお客と気軽に会話を交わすなど、ドキュメンタリー風に作られた番組「欲望の時代の哲学。マルクス・ガブリエル日本を行く」(NHK BS)は興味深い内容でした。

 ロボット工学の世界的権威、大阪大学の石黒教授との対談では、テレビで見たことがある人間そっくりな容姿のロボットを指しながら、ヨーロッパの国々でこれらのロボットを紹介した時の反応について教授は話しはじめます。 
 そして「同じような反応がありましたが、ドイツでの反応はまったく違いました。半分は他国と同じような反応でしたが、残りの半分はこのロボットを受け入れないのです。『ヒューマノイド(人間に似た形のロボット)の概念を理解できない』と言い張るかれらが理解できないのですが」と哲学者に尋ねます。

 問いかけに、ボン大学マルクス・ガブリエル教授は「私も似たような反応でした。科学的には質問したいことが次々と沸いてきますが、ヒューマノイドという認識を拒絶してしまいます」と応じ、その受け入れられない理由を説明します。

 「ドイツ憲法の最初の一文にはカントによる人間の解釈があります。『人間の尊厳は不可侵である』と。『人間の尊厳』はカントが与えてくれたコンセプトです」
 教授が「でも、人間の定義はいまだ謎でしょう。人間の定義を既知として受け入れてしまうと、新しいコンセプトを取り入れる際、障害となるような気がしますが」と言うと、「確かに障害にも抵抗にもなりますね。でも理由があります。ドイツには大きな失敗がありますが、あの失敗は『非人間化』のせいだったという見方が定着しています。強制収容所は非人間化の果てなのです。だから確固たる人間の概念が必要なのです」
 ベストな定義ではないかもしれないが、それができるのを待つのではなく、現時点で納得できるコンセプトで人はこうあるべきだと決め、遵守する必要があるということだと理解しましたが、気迫を感じました。

 「人間の概念が揺らげば、次に待っているのは強制収容所だからです」という言葉は、親が子を、子が親を、あるいは、誰でも良かったと、あたかも権利の一つを行使するかのように人の命を奪っている事件に重なりました。
 「『決して繰り返すな』と思っています。一般的にドイツ人にはこのような研究が人間性を破壊するのではないかという恐れがあります」

 石原慎太郎氏は新聞紙上で、「日本が無条件降伏をしたのに比べて、ドイツは降伏に際してあくまでも三つの条件をつけ、それが受け入れられぬ限り徹底して戦うと主張した。その三つの条件とは第一に、敗戦の後の国家の基本法の憲法はあくまでドイツ人自身の手によって作る。第二は戦後の子弟の教育指針はドイツ人自身が決める。第三はたとえ数はごく少なくとも国軍は残すというものだった。この国家民族の主体性を踏まえた主張は勝者の連合国側にも受け入れられ、ドイツは他国による完全支配を免れた」(産経新聞。2017年5月3日)と述べています。

 ドイツ憲法を検索すると、改正が毎年と言って良いほど行われていることに驚きますが、絶えず取り上げ意識することで「人間の概念」を浸透・昇華させているのでしょう。

 自分たちの手で作成した憲法か与えられた憲法か、また改憲か護憲か、日本とドイツはまったく反対の道を歩んできているようです。
 その結果、いまどうなのかについての評価はそれぞれの分野の専門家にお任せしますが、「憲法」と「国防」については、ここで何度か素人なりの意見を述べてきたつもりです。

 「『2029年には人工知能が人類の知性を超える』と提唱するレイ・カーツワイル氏と、マルクス・ガブリエル氏との対談を、ぜひ実現してほしい」と思います。

 


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