沙弥の繰り言(226)

 以前「信長とコンピュータ」を著した時、天下統一の行動に合わせた地図を何枚か載せました。
 作成にあたり、図形と地名を別々に作って重ねるというソフトを使ったので、修正や追加は図形なら図形の、地名なら地名の画面だけ取り出し手を加えれば良く「便利だったな」という記憶があります。

 この方法は、アニメーションを製作する時、たとえば登場人物の目や手足の動きは変わるが背景に影響がなければ、背景のセル画はそのまま使い重ねればそのシーンを効率的に完成させることができるので、よく使われているようです。

 ところで、この階層と言うか、上下関係と言うか、価値の大小という考えが、いくつかの場面で少しおかしくなっているのではと感じています。

 たとえば、国会はどうでしょう。
 決めなければならないことが山積みされているのに、「改ざんだ」と鬼の首を取ったかのごとく乱暴に問いただしている様子を何度も見せつけられると、「何をしているのか」と有権者の一人として文句の一つも言いたくなります。

 「国民の命と財産を守るために、『それとこれと』どちらが大切なのか」という判断力が、失礼な言い方で恐縮ですが、素人にも分かる位、著しく低下しているのではないでしょうか。
 多少混乱があったとしても、八方に気を配り決められないより、最重要なことに注力して断行する方がはるかによろしいのではと私は思います。
 その姿に怒る国民は、どれ位いるのでしょう。

 もう一つ、アニメーションの例で言えば、どこかの層のセル画に手を入れることで解決すると思われることに、それが全体に及ぼすかのように大騒ぎ、多分これが党利党略なのかもしれませんが、しているような気がしてならないのです。
 作品の出来不出来はそっちのけにし、背景も幹も枝葉も一緒くたにして問いただしている姿は、国民感情を掘り起こし騒ぎ立てているのではないかと疑ってしまいます。
 もしもであるが、そうであれば「この程度で踊る」と私たちは値踏みされているのかもしれません。
 どうであれ、「日本のために一肌脱ごうと、本当に思っておられるな」とは伝わってきません。
 むしろ「こういう人たちに、国政を任せることはできない」と思ってしまうのは、おかしいでしょうか。 
 何よりも、こんな状況が続けば、国のために行わなければならないことに費やす貴重な時間が、間違いなく大きく削られるでしょう。
 
 もちろん「明らかにしなくても良い」と言うのではありません。
 案件の詳しい構図は分かりませんが、切り離し、たとえば司法にそっくり任せれば良いことではないでしょうか。
 全容が分からないと国民も正しいジャッジを下すことができませんので、賢い方法を見つけ取り組んで欲しいものです。  

 この件については、一つ分からないことがあります。
 それは、「書き換えたとか、改ざんしたということを、新聞社はどのようにして知ったのか」ということです。
 まさか、国家の中枢を占めるところに、足を引っ張るような勢力が入り込んでいるとは思いませんが、万一「洩らした人がいる」ということなら「大掃除する時がきた」ということになるのでしょうか。

 相変わらずの未熟な僧の戯言です。
 
 


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