無題

 おかしなことが増えているような気がする。

 PCという用語が最近しばしば使われているが、これは、「ポリティカル・コレクトネス」の略で、「誰にも不快感を与えない言葉を使用する」ことなのだそうだ。

 もちろん良いことだと思うが、「丸坊主」とか「がんばれ」と言うのは「いけません」というのは本当だろうか。

 以前からこのような運動があるようだが、少々行き過ぎるところがあると思う。
 その結果、たとえば、大人が子供を注意することができなくなっているのではないだろうか。

 何も知らないで生まれてくるのだから、本人のためにいろいろ教える必要があると、いや大人になっても知らないことだらけだ、思うのだが、下手すると「言い方が乱暴だ」とか「対等でない」などと、権利を背景にした言い方が返ってくるようだ。
 
 こんなことで「余計なことを言うのはやめた」となるが、これでは間違いなく「子供は損をしている」ということになると思う。

 こういう空気が反映しているのだろうか、「日本の警察は殺人犯であっても取り押さえる時、極力怪我をさせないよう配慮している」とどこかで聞いたことがある。
 裁判にかけても、今度は日弁連は「死刑制度廃止」なので、もしかしたら罪を軽くしてしまうこともあるのではないかと邪推してしまう。

 曰く「先進国は、死刑廃止が多い」と、しかし、報道などで見る限りその場で射殺してしまう場合が多いと思う。 
 日本では拳銃を抜くだけで、場合によっては問題になってしまうようだ。
 それが証拠に必ずと言っていいほど、都度、関係部署から「適切な処置で、問題はなかった」というようなコメントが出される。

 また、巷では「日本は犯罪者にとって天国だ」とも言っているようだ。
 よく取り上げられる例として、「日本領海で海上保安庁の船に体当たりした中国漁船の船長を逮捕したが、当時の政権は抗議に配慮し釈放してしまった」がある。

 これでは、軽く見られるのは当たり前だと言えそうだ。
 「もっと乱暴に」と言うのでは決してないが、善し悪しのメリハリが少々なさ過ぎるのではないだろうか。

 こんなことでは、子供の注意どころか「何があっても関わらない方が良い」と考え、近くで難癖を付けられ困った人を見ても、「義によって助太刀いたす」と関わっていくような人は、いなくなってしまうだろうと危惧する。

 もっとも、時間を掛け争っていると「差別用語を使った」などとややこしくなってしまい、場合によっては助けた人が悪者になってしまうかもしれないので、関わるのは、ドラマや劇画に出てくるような、そう、ブルース・リーのような技を持って相手を一発でやっつけるような人だけに限定されるのかもしれない。 

 トランプ大統領が支持される理由は、このような空気を構わずぶち壊しているところにあるのかもしれない。
 そうだとすれば、行き過ぎに対する反動なのだと思う。
 
  

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