歴史教育

 教育で、長い間忘れていたことを思い出した。
 それは、日本史の勉強が時間切れになったことだ。
 こういうことは、私たちの学校だけでなく、「私たちの世代では」と言えるほど、どの学校でも同じだったようで、その証拠と言っては何だが、新聞だったかラジオだったかで識者が「いっそのこと、逆に始めてはどうか」と言ったのを聞いた覚えがある。 
 そんなことで、明治あたりから現在に至る歴史の勉強は、通り一遍だったのかなと思う。

 いま思うととても不思議なことなので、何かの力が働いたのではないかと思っているが、そうであったとしても、私たちの世代からは歴史の専門家が誕生しなかったということはないと思うので、結局は本人の問題なのだろう。

 この時間をかけなかった時代に該当するが、日本がかつての朝鮮を統治していた時、どれほどの資本を投入し近代化を助けたのかを、週一回、産経新聞が連載「海峡を越えて」(7月21日現在。28回目)している。

 詳しいことは「記事」を読んでいただくことが前提になるが、私たちはこういうことは知っておくべきだと思うので、と言うより私自身が学ぶためにであるが、いくつか取り上げてみることにする。
 既にご存知の方もおられると思うが、確認してみるということで扱っていただければありがたい。

 京城帝国大学。
 「大正13(1924)年、帝国大学では6番目の創設。外地としては初めての帝大で、大陸(満州、朝鮮)唯一の総合大学」
 方針は「朝鮮の伝統を生かしつつ、朝鮮に生まれ、朝鮮の近代化に尽くす人材を育成する」とある。
 「9校の帝国大学」という表を見ると、「東京」が明治19年設立、以下「京都」「東北」「九州」「北海道」そして「京城」「台北」「大阪」「名古屋」と続く。 

 水豊ダム
 「次々と巨大な水力発電所を建設していった」「中でも満州国(現・中国東北部)と朝鮮の国境を流れる鴨緑江に水力発電用として建設された水豊ダムは、ケタ外れのスケールだった。高さ約106メートル、幅約900メートル、総貯水容量116億立方メートル、人造湖の表面積は、琵琶湖の約半分に相当した」ということだ。

 興南工場
 朝鮮東海岸の興南に、日窒コンツェルンの野口遵が建設した工場群。
 「化学肥料、金属、燃料、火薬、宝石などによる東洋一の科学コンビナート」「従業員約4万5千人、家族らを含めた総人口約18万人の近代都市」「工場・住宅地などの敷地面積は、五百数十万坪、そこに、多数の従業員を住まわせる社宅、病院、学校、警察署、郵便局、図書館、運動・娯楽施設、供給所(スーパーマーケット)を造った」とある。

 戦後保障
 「昭和40年の日韓請求権・経済協力協定によって、すべて『解決済み』である。日本は5億ドルという当時の韓国国家予算を上回る巨額の資金供与(有償・無償)を約束し、お互いの請求権問題は、完全かつ最終的に解決していた」
 また「このとき、韓国側だけが、請求権を放棄したのではなくて、日本も、公的資産のみならず、朝鮮の地で個人が築き上げた私的財産まで、すべて最終的に放棄させられたことを忘れてはならない」とある。

 紹介したのはごく一部であるが、前にも触れているように、こういう事実は正しく知っておく必要があると思う。
 
  

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