「お客様を増やす」など、攻めの経営に伴う情報化に取り組む時、その開発や運用する人たちに求められる事柄を、物語で説いてみました。
 「このレベルの情報化を行っているところが少ない」という公の課題に正面から取り組んでいますので、ベンダーやユーザに厳しく迫る場面があります。

           


        

 天守閣が聳え立つ安土山は、辰巳(南東)の方向に峠を介して観音寺山を連ねている。
 城下町はその二つの山に守られるようにして安土山の南側の平地に広がっている。

 安土山の西側は山麓まで内海が迫っているが、内海の縁から南の方向に数本の幹線道路が縦にまっすぐ走っていた。
 その縦道の一本と、何本目かの横道が交わるあたりに商家が軒を並べている。

 その一軒である近江屋の番頭が先月独立し、出生地の日野に店を開いた。
 今江伝右衛門(初代今伝)と名を改め、近江屋のあるじの勧めもあり商家の娘さきを妻に迎えた。

 一代で財を築き、初めて別家・独立させた店を持つ近江屋のあるじは伝右衛門の独立を我がことのように喜び、資金や営業面で全面的に協力することを伝え、祝いの品の中には一統であることを示す「近江屋」の暖簾を加えた。

 それから二年後の天正十(1582)年六月二日、朝の仕事をこなし、いつものようにメールを開いた伝右衛門は
「本能寺で、大変なことが起きたようです」
という緊急の印が付いた、メール仲間でもある京都在住の得意先からの一報に身体をこわばらせた。

 すぐ京に行くことが叶わぬ伝右衛門は、さらに情報を得るため本家の近江屋や嶋久家、それに、心当たりの取引先にメールを発信し続けた。

「織田信長様が明智光秀によって討たれた」
という事件が伝わると、日野の城下町にも緊張が走った。
 既にネットは混乱し繋がりにくくなっていたが、・・・・



 こんな話しからこの物語は始まります。


                      
 「信長とコンピュータ」の中に、次のように書いている箇所があります。

 「時恵や弥之吉らが中心になって商家の情報化の現状を調べた結果によると、運用されている情報化の種類は事務処理レベルの情報化が圧倒的に多く、次に、管理業務レベルと続き、お客様のために開いた戦略レベルの情報化となると全体の一割にも満たなかった。

 一割にもならない主な理由は、まず『我々の店は何を行うために存在するのか』という強い想いが明確でないこと、そして、お客様がいなければ商売は成り立たないのに『お客様のために役に立つのだ』という姿勢が欠けていること、それに、その気持ちがあっても、想いを実現するための『役に立つ情報を創る』とか、『第三者が認めるレベルを満たすセキュリテイ対策を採る』などという『やっておかなければならないことが、きちんと継続的に行われている状態ではない』というところにあった。
 この状態を好転させるには『成熟度を高めることだ』と、時恵達はさらに力を注いでいった」

 この文章を書いている時、「この辺りは、もっと掘り下げて著す必要がある」と感じていました。
 そこで、また余計なお節介なのですが、「信長とコンピュータ」にちらっと出てきた近江屋の番頭を主人公にして、「実現できない理由はこういうことではないのか」「こうすれば課題は解消できるのでは」といままで体験してきたことなどを基にして著してみました。
 このような意味で、「信長とコンピュータ」の続編と位置づけられます。

 内容はお読みいただくとして、このフィクション物語の基調について少し触れますと、先にも触れているように、テーマが「課題の解消」であるため、どうしてもその対象になるベンダーやユーザに厳しい口調で迫っているところがあります。

 それは、経営に携わり、攻めの情報化にも取り組んできた情報化の指導者である嶋久(弥之吉)や、ユーザだった今伝(近江屋の元番頭)からの指摘、また、後半では、両家の六代目からの評価となって顕れてきます。

 「信長とコンピュータ」の中で、近江屋の番頭が弥之吉からユーザ向けの情報化研修への参加を誘われた時、「久しぶりに叱られに参りましょう」と言って受ける件(くだり)があります。

 こんな気持ちでページをめくっていただければと思っています。  


 久しく叱られていない情報の関係者、情報化に関心を持っておられる経営者、そして、将来社会で活躍される学生の皆さんにも読んでいただきたい物語です。

 30×40文字のフォーマットで、表紙を含み65ページです

ISBN978-4-9905703-1-6


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